さようなら、ジャンボジェット。

うみかじ。

2010年11月03日 11:09

1997年12月

JAL501便
東京羽田-札幌千歳

Boeing747-146SR

参考写真

人生初めてのフライトがJALのジャンボでした。
まだ、食事時間帯のフライトでは軽食が出た時代でしたね。

そして時は流れ、沖縄の旅をするようになり羽田から何度も何度も乗りました。
今となってはデッドスペースと言われてしまうかもしれないけど、ゆとりのある
エントランスや機内。ワクワクするアッパーデッキへの階段。Aコンパートメントの
静粛性。特徴を挙げればきりがないほど。

国際線用の-300が国内線で最後の活躍をしている頃に沖縄へ行く機会が
多かったので、クラスJでスカイラックスに乗ったのもいい思い出。

そんな訳で、定期運用の最終日10月30日のJAL908便で那覇から帰ってきました。

手前が908便、奥が906便。
最終日に那覇で寄り添うように隣合わせてSPOTに。


Japan Airlines Boeing747-446D JA8084


昔、新千歳で見たJA8084
JALドリームエクスプレス・ドリームストーリー号。

出発時にCAさんのアナウンスで、国内線ジャンボの定期運用最終日であることと
「赤ちゃん4名を含む198名のお客様です」と案内があり、最後に「2時間のジャンボ
ジェットの空の旅をお楽しみください」と結ばれました。


2階席に乗ろうか、AコンパートメントのJ席に乗ろうか迷いましたが、当日変更でJ席に。

甲高いエンジン音も心地よく、台風のおまけまで付いて羽田まで。
もっともっと乗っていたかったけど、ここでお別れ。
名残惜しいので、最後の最後に降りました。


到着した羽田は涙雨。


沖縄から到着した2機は折り返し千歳へ。
この日ラストのフライトに向けて。

ジャンボ自体は騒音規制で伊丹を追い出され、不本意な名古屋中部の那覇線に張り
付いたりして546人乗りのキャパシティを発揮する機会も少なくなり、最後は日航
破たんで、悪者扱いという晩節になってしまいましたが、個人的にはジャンボが
無ければ航空運賃の値下げやホテルパックのツアーが安くなるってことも無くて
こんなにあちこち旅行に行けなかったかもしれません。

節目節目や大切な旅の思い出に欠かせない飛行機でした。

ありがとう、ジャンボ。
たくさんの旅の思い出をありがとう。

年度内は修学旅行等対応の機材変更や年末年始の臨時便に運用するのため予備機で
残るようなのでもう1回ぐらい乗りたいよね。

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